Vol. 16 青島幸男
セントウ開始!
青島幸男(あおしま ゆきお)
タレント・作家。
1959年にフジテレビ「おとなの漫画」で脚本家デビュー。日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」の脚本の執筆や、ザ・クレイジーキャッツの「スーダラ節」等数多くのヒットソングを作詞し、時代の寵児となる。68年、参議院選挙に当選したのちは政治家としても活躍。95年、東京都知事に就任し、99年に任期満了にて東京都知事を退任。最近では、日本テレビ系ドラマ「明日があるさ」、フジテレビ系バラエティ番組「TV's HIGH」レギュラー出演など、多方面で活躍。
1959年にフジテレビ「おとなの漫画」で脚本家デビュー。日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」の脚本の執筆や、ザ・クレイジーキャッツの「スーダラ節」等数多くのヒットソングを作詞し、時代の寵児となる。68年、参議院選挙に当選したのちは政治家としても活躍。95年、東京都知事に就任し、99年に任期満了にて東京都知事を退任。最近では、日本テレビ系ドラマ「明日があるさ」、フジテレビ系バラエティ番組「TV's HIGH」レギュラー出演など、多方面で活躍。
私は昭和一ケタ生まれで今年七十歳を過ぎた。考えて見りゃもういいじいさんだ。
私らが下町日本橋堀留町界隈に住んでいた頃は自分の家に風呂があるなんて家は先ずなかった。 みんな銭湯へ行ったもんだ。
「馬鹿野郎!こんなぬるい湯にへえれねえでどうする。いい若いもんが何でえ、歯をくいしばってへえれ!」
なんて、威張ってたもんだ。あんなじじいはやっぱり脳溢血かなんかで死んじゃったのかなぁ。最近見られねえ。 小学校三年の時に疎開騒ぎで中野区の鷺ノ宮へ移った。今じゃ鷺ノ宮も立派な住宅街だが同時は全くの田舎で、田んぼと畑ばっかりで、近所にはサザエさんの家みたいな典型的な郊外住宅ばっかり。
私のじいさんが、郊外生活が生まれて初めてなもんで嬉しくて仕方がない。広くもない庭を畑にしてトマトやナスを作って遊んでた。暇人なもんだから早くから湯をわかして、近所の人に入れ入れと誘うが、みんなそれぞれ風呂場を持っているから、おいそれとは入ってくれない。
「せっかく水を入れ替えて一番風呂を立てているのに誰もへえってくれねえ」と怒っていた。
そこの近所にも銭湯があって、確か「ゆかた亭」とかって寄席があって、その隣の「ゆかた湯」そうそう、そこにもよく通ったなぁ。
番頭さんや、近所のおやじさんと将棋をさしたり碁を打ったり、湯に入るよりそんなことばかりしてたなぁ。相変わらず女の裸は見飽きてたから、何の野心も無かったなぁ。
もっともあの頃は、サン助さんていって、イキなキマタのスタイルで女の人の背中を流す男衆が平気で女湯の中を闊歩してたもんなぁ。落語の「湯屋番」みたいな事、普通だったんだよなぁ。
ねえ、御同輩。そうこうしているうちにポックリいくかなぁ。
そうなりゃしめたもんだよな。
文/青島幸男(あおしまゆきお)
イラスト/花岡道子
私らが下町日本橋堀留町界隈に住んでいた頃は自分の家に風呂があるなんて家は先ずなかった。 みんな銭湯へ行ったもんだ。
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家の隣に「楽屋湯」って風呂があった。なんでも昔近所に芝居小屋があり、楽屋代わりに役者さんが使ってたって聞いた事がある。なにしろ家の隣だから気安く通った。そう、金なんざ払った事はない。番頭さんが気安い人で、裏口から入って、厚さ三寸もある檜の板が湯舟の上に並んでいる焚き口のそばで一緒にメシを喰った事も憶えている。娘と云わず年増と云わず女の裸なんざ見飽きるほど見てる当時、何とも思わなかったね。もっとも子供だったからなぁ。
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そういえばあの頃、朝湯なんてのもあって六時頃行くと、カランの所に近所のじじいがガンバっていて、熱いもんでうめようとすると「馬鹿野郎!こんなぬるい湯にへえれねえでどうする。いい若いもんが何でえ、歯をくいしばってへえれ!」
なんて、威張ってたもんだ。あんなじじいはやっぱり脳溢血かなんかで死んじゃったのかなぁ。最近見られねえ。 小学校三年の時に疎開騒ぎで中野区の鷺ノ宮へ移った。今じゃ鷺ノ宮も立派な住宅街だが同時は全くの田舎で、田んぼと畑ばっかりで、近所にはサザエさんの家みたいな典型的な郊外住宅ばっかり。
私のじいさんが、郊外生活が生まれて初めてなもんで嬉しくて仕方がない。広くもない庭を畑にしてトマトやナスを作って遊んでた。暇人なもんだから早くから湯をわかして、近所の人に入れ入れと誘うが、みんなそれぞれ風呂場を持っているから、おいそれとは入ってくれない。
「せっかく水を入れ替えて一番風呂を立てているのに誰もへえってくれねえ」と怒っていた。
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それから戦後になって豊島区の高田南町に越した。そこの近所にも銭湯があって、確か「ゆかた亭」とかって寄席があって、その隣の「ゆかた湯」そうそう、そこにもよく通ったなぁ。
番頭さんや、近所のおやじさんと将棋をさしたり碁を打ったり、湯に入るよりそんなことばかりしてたなぁ。相変わらず女の裸は見飽きてたから、何の野心も無かったなぁ。
もっともあの頃は、サン助さんていって、イキなキマタのスタイルで女の人の背中を流す男衆が平気で女湯の中を闊歩してたもんなぁ。落語の「湯屋番」みたいな事、普通だったんだよなぁ。
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私?私はやっぱり、家の風呂場で、ぬるめの湯で、ゆっくりナニワ節でもうなっていたいですね。ねえ、御同輩。そうこうしているうちにポックリいくかなぁ。
そうなりゃしめたもんだよな。
文/青島幸男(あおしまゆきお)
イラスト/花岡道子