Vol. 82 内田朝陽
水鉄砲
内田朝陽(うちだ あさひ)
2000年、21世紀ムービースターオーディションでグランプリ受賞。同年、「死者の学園祭」で映画デビュー。その後、映画「精霊流し」「アオグラ」で主演を務めるほか、ドラマ「First Love」(TBS)「天国の樹」(フジテレビ)などに出演。2007年の連続テレビ小説「どんど晴れ」にヒロインの相手役にオーディションで抜擢された。他の出演作に、映画「60歳のラブレター」「火天の城」「僕の中のオトコの娘」、ドラマ「神様のボート」「SP〜警視庁警護課?」「鬼刑事と車椅子の少女ドクターブライダル」「京都地検の女 9」、舞台「サイケデリック・ペイン」など。NHK「のんびりゆったり路線バスの旅」(総合)にレギュラー出演中。
★テレビ朝日土曜ワイド劇場山村美紗サスペンス
「京都グルメツアー殺人事件!」10/5(木)21時 OA
★テレビ朝日土曜ワイド劇場山村美紗サスペンス
「京都グルメツアー殺人事件!」10/5(木)21時 OA
慌ただしいのは良くないなぁ。なんて風呂に浸かると思う。
ザブゥー。と、
風呂から柔らかく溢れるお湯が、まるで身体から何かを吸い取っって流してくれる様な、心地良い瞬間。
「はぁぁー」と、
お腹の底から抜けて行く息が出ると、不思議と頬の辺りが緩んでしまう。
曇った鏡のアートも、天井から落ちる水滴の音も、清潔な石鹸の香りも、お風呂には欠かせない。
すると良い歳をして、口のところまで、湯船に浸かりプクプクしてみたりする。
ふと想う。
ゆっくり風呂で過ごす、そんな当たり前だった時間が、贅沢な時間になってしまったのは、いつの日からなのだう、、、
そんな、自分以外が答えを知るはずの無いナゾナゾに、ぼぉーっとしてみる。
曖昧の極みとも言える答えだろうが、きっと大人になった頃から風呂は疲れを取る、「いのちの洗濯場」になったのだと想う。
しかし、このナゾナゾには正しい答えがあったのだ。
その答えを教えてくれたのは、意外にも父親だった。
「お前が小さい頃、一緒に風呂に入るとなぁ。のぼせて具合が悪くなるんだよ。ろくに風呂にも入らないで、ずっと遊んでたからな。」
子供の頃の話は、実に照れ臭い。母親の十八番、オムツをしていた頃の話に比べたら、まだまだマイルドな話ではあった。東京オリンピックの決まったこの年に、六十一歳になった父は、三十一歳になる息子に面倒臭そうに、そう話すと鼻で笑った。二十年程前の話しに些か面倒な気分にもなったが、それと一緒に懐かしい記憶が湯けむりの匂いと、あの頃のシャンプーの匂いと共に立ち込めた。
自営業の我が家では、平日の風呂の時間に親が在宅して居る事は、ほとんど無かった。そんな我が家では、週末に父と風呂に入れる時間は、幼い僕にはなかなか愉快な時間に違いなかった。そんな父との風呂と言うのは単に一緒に風呂に入るだけとは違う。
まず、父は僕専属の「理髪店」であった。
月に一度は、ゴミ袋に穴を空けたやつから頭を出して、散髪して貰うのも、大きな楽しみの一つだ。この理髪店は、その日の気分やコンディションによって散髪のクオリティに著しく違いが出るのが売りだった。
次に、普段とは違う饒舌な「語りべ」と言うのが風呂での父。父には風呂で必ず話す小話があった。幼い私は、虎刈りの頭を父にグリグリと洗って貰いながら、この小話を聞くのが誠に心地よく楽しい時間なのを知っていた。
それは、「父の父の自慢話」
つまり、おじいちゃんのカッコ良い話だ。
明治生まれで180cm程の身長のあった祖父は身体も逞しく、なんとも力持ちで、名前は「虎男」。勇敢な桃太郎の様な男だったそうだ。礼儀に厳しく、怒ったら最期、鬼の如く恐ろしい。そんな、虎男じいちゃんの話を父は面白く話してくれた。
幼いながらに、そんな話をしている時の父が嬉しそうなのが、僕にとっても嬉しかった事は良く覚えている。
手作りの木刀の話。
米俵を軽々と持ち上げた話。
薬草に詳しかった話。
中学生の父が悪さをして、片手で投げ飛ばされた話。
他にも武勇伝とは言え、些か過激な話題も含まれていたのだが、それはご想像にお任せしようと想う。
そんな僕らのヒーロー、虎男じいちゃんの話を聞くのが、風呂での最高の楽しみで、話を聞きながら虎男じいちゃんが得意だった水鉄砲のやり方も、父から教わったもんだった。
たまには、ゆったり風呂に浸かってこんな照れ臭い想い出にふけってみるのも悪くない。
いつか、自分も子供に父の自慢話をして、水鉄砲を教える日がくるのだろうか。なんて、そんな事を想うとなんともこそばゆい。僕は、両手を親指が上を向く様に組んで、それを湯船に七分目まで沈めて、不器用に力を入れてみた。
水鉄砲を上手い事飛ばすコツ。
それを覚えているのか否や。
それが問題だ。
今宵の風呂は長くなりそうだと、
そう思った、そんな夜。
どうせ、いつまでたっても父の様に水鉄砲は上手く飛ばないもんだろう。
文/内田朝陽
ザブゥー。と、
風呂から柔らかく溢れるお湯が、まるで身体から何かを吸い取っって流してくれる様な、心地良い瞬間。
「はぁぁー」と、
お腹の底から抜けて行く息が出ると、不思議と頬の辺りが緩んでしまう。
曇った鏡のアートも、天井から落ちる水滴の音も、清潔な石鹸の香りも、お風呂には欠かせない。
すると良い歳をして、口のところまで、湯船に浸かりプクプクしてみたりする。
ふと想う。
ゆっくり風呂で過ごす、そんな当たり前だった時間が、贅沢な時間になってしまったのは、いつの日からなのだう、、、
そんな、自分以外が答えを知るはずの無いナゾナゾに、ぼぉーっとしてみる。
曖昧の極みとも言える答えだろうが、きっと大人になった頃から風呂は疲れを取る、「いのちの洗濯場」になったのだと想う。
しかし、このナゾナゾには正しい答えがあったのだ。
その答えを教えてくれたのは、意外にも父親だった。
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先日、珍しく親子水入らずで、夕食に出掛けた際、珍らしく饒舌になった父は酒も飲まずに話していた。「お前が小さい頃、一緒に風呂に入るとなぁ。のぼせて具合が悪くなるんだよ。ろくに風呂にも入らないで、ずっと遊んでたからな。」
子供の頃の話は、実に照れ臭い。母親の十八番、オムツをしていた頃の話に比べたら、まだまだマイルドな話ではあった。東京オリンピックの決まったこの年に、六十一歳になった父は、三十一歳になる息子に面倒臭そうに、そう話すと鼻で笑った。二十年程前の話しに些か面倒な気分にもなったが、それと一緒に懐かしい記憶が湯けむりの匂いと、あの頃のシャンプーの匂いと共に立ち込めた。
自営業の我が家では、平日の風呂の時間に親が在宅して居る事は、ほとんど無かった。そんな我が家では、週末に父と風呂に入れる時間は、幼い僕にはなかなか愉快な時間に違いなかった。そんな父との風呂と言うのは単に一緒に風呂に入るだけとは違う。
まず、父は僕専属の「理髪店」であった。
月に一度は、ゴミ袋に穴を空けたやつから頭を出して、散髪して貰うのも、大きな楽しみの一つだ。この理髪店は、その日の気分やコンディションによって散髪のクオリティに著しく違いが出るのが売りだった。
次に、普段とは違う饒舌な「語りべ」と言うのが風呂での父。父には風呂で必ず話す小話があった。幼い私は、虎刈りの頭を父にグリグリと洗って貰いながら、この小話を聞くのが誠に心地よく楽しい時間なのを知っていた。
それは、「父の父の自慢話」
つまり、おじいちゃんのカッコ良い話だ。
明治生まれで180cm程の身長のあった祖父は身体も逞しく、なんとも力持ちで、名前は「虎男」。勇敢な桃太郎の様な男だったそうだ。礼儀に厳しく、怒ったら最期、鬼の如く恐ろしい。そんな、虎男じいちゃんの話を父は面白く話してくれた。
幼いながらに、そんな話をしている時の父が嬉しそうなのが、僕にとっても嬉しかった事は良く覚えている。
手作りの木刀の話。
米俵を軽々と持ち上げた話。
薬草に詳しかった話。
中学生の父が悪さをして、片手で投げ飛ばされた話。
他にも武勇伝とは言え、些か過激な話題も含まれていたのだが、それはご想像にお任せしようと想う。
そんな僕らのヒーロー、虎男じいちゃんの話を聞くのが、風呂での最高の楽しみで、話を聞きながら虎男じいちゃんが得意だった水鉄砲のやり方も、父から教わったもんだった。
●
三十一歳になった今、寝る前に風呂でそんな事を想う。たまには、ゆったり風呂に浸かってこんな照れ臭い想い出にふけってみるのも悪くない。
いつか、自分も子供に父の自慢話をして、水鉄砲を教える日がくるのだろうか。なんて、そんな事を想うとなんともこそばゆい。僕は、両手を親指が上を向く様に組んで、それを湯船に七分目まで沈めて、不器用に力を入れてみた。
水鉄砲を上手い事飛ばすコツ。
それを覚えているのか否や。
それが問題だ。
今宵の風呂は長くなりそうだと、
そう思った、そんな夜。
どうせ、いつまでたっても父の様に水鉄砲は上手く飛ばないもんだろう。
文/内田朝陽