銭湯の富士を描く職人・中島盛夫さんライブペイント
すこし前の事ですが...、UAや浅野忠信の共演で話題となった銭湯が舞台の映画「水の女」公開を記念した背景画ペイントライブの模様です。若者が行き交う原宿のギャラリー「gray」で行われました。
ほんとうに数少なくなってしまった銭湯の背景画専門のペンキ絵師・中島盛夫さんは、大勢の若いギャラリーを前に、幅2.47メートル、高さ2メートルの富士山を一気に書き上げました。
まずは、さらさらっとアウトラインと下塗り...。
鼻歌まじりに、とはこのことで
迷いもなく、大きく素早く筆が走ります。
筆を変えるのも、絵の具を混ぜるのも、無駄なく熟れた職人の動き。
しびれます。
描く対象や部位によって大小のハケやローラーを駆使。
(背景画制作にローラーを使いはじめたのは中島さん!)
やはりそれは「描く」というより
ペンキ職人ならではの「塗り」の技。
下塗りの上に、雪面の陰影、雲、森のテクスチャーが足されて行きます。
隆々とした富士、透明感ある水面、移り行く雲、
木々の色合いも次第に鮮やかに。
確かに、いつか見た、懐かしい日本の原風景がそこにありました。
いっちょあがり!
ものの40分弱の早業。さすがです。
その出来映えにギャラリーからも惜しみない大拍手!
実際の銭湯背景画は巨大な壁のため4〜5時間はかかります。念のため。
もともと銭湯背景画は、大正元年(1911年)東京神田猿楽町にあった「キカイ湯」の主人が、子ども達に喜んでもらおうと画家の川越広四郎に依頼して富士山の絵を描かせたところ大評判に。これが全国に広まったとのこと。詳しくは映画「水の女」及び当イベントのコーディネーターでもあった 街頭浪漫研究家・町田忍さんのページへ。
中島さんは、最近では銭湯以外でも、病院や老人福祉施設、個人宅などで背景画を描く依頼もあるということ。
現在3名しかいなくなった職人さん。
この方たちが引退すると、
銭湯壁画の文化も消えてしまうのでしょうか...。
東京下町生まれ銭湯育ちで思い入れも人一倍ですが、
なんとか、銭湯共々、次世代にも繋がっていってほしいものです。
中島さん、どうもありがとうございました!
中島盛夫さん
1945年福島県出身。背景画師の故・丸山喜久男氏に師事。ローラーを使い効率のよい背景画制作の方法を考案。丸山清人氏、早川利光氏と並び、日本を代表する背景画師。
posted by yunokuni staff |
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