都市部では、お風呂のある住宅は少数で、銭湯通いが一般的、内風呂はむしろ農漁村に多く見られました。例えば東京近郊では、宅地になる前の農地に、まずは銭湯が建てられ、その周辺に住宅が立ち並ぶという光景もありました。銭湯は、このように人々が暮す環境を作る宅地開発の核のひとつとして、とても重要な存在であったといえます。また、この頃には、近所のお風呂のある家で入浴する「もらい湯」という習慣がありました。銭湯通いにしても、もらい湯にしても、毎日入浴するなど、夢のような話でした。
内風呂がある場合には、風呂桶は、手工業的な木製浴槽が主でした。昭和の初期頃から出始めた銅または鋳物の風呂釜で、薪や石炭をくべてお風呂を沸かしていました。水をくんだり。お湯を沸かしたりということは、大変な作業だったので、お湯を減らさないように気をつけながら入浴していました。
昭和20年代後半には、より便利で清潔な住宅を目指す運動が盛んになり、タイル貼りの浴槽も作られましたが、ごくわずかのものでした。タイルといっても、現在のようにバリエーションはなく、白を中心にパステル調のものがわずかにあった程度でしたが、丈夫で衛生的という理由で喜ばれました。また、高級浴槽としては、陶製のものがありました。 |